アラサーOLはるまるの旅行日記

アラサーOLが今まで行った旅の思い出を綴ります。

イタリア旅行5日目①ベネチア・サンマルコ広場

今日は一日、ベネチアの街を歩きます。

f:id:Halumaru:20190404083559j:image

ベネチアは西暦700年頃から1000年ものあいだ共和制を敷いていて、歴史上最も長く続いた共和国です。

そもそもベネチアは、西暦400年頃のゲルマン民族大移動によって住む場所を失った北イタリアの人たちが、ゲルマン人から逃げる形で後のベネチアに辿り着いたのが始まりです。最初はただの潟でしたが、自分たちの手で干拓をし、潮の流れが天然の防壁となり敵の侵入を防いだそうです。

その後ベネチアは、世界の海に目を向け、海上貿易に乗り出します。小国のベネチアが「アドリア海の女王」と呼ばれ、世界の海を牛耳るようになることは並大抵のことではありません。

それを可能にしたのが、共和制でした。独裁者を作らず、元首は何度も投票を重ねて選出したそうです。ベネチアには、メディチ家ルイ14世といった圧倒的なリーダーは現れませんでしたが、国民一人ひとりが政治に参加し、強い結束力を持ってベネチアという国を作り上げていきました。

塩野七生先生の「海の都の物語」はこのようなベネチアの国の興りや繁栄について分かりやすく書かれていて、とても面白かったです。

 

【まずはサンマルコ広場へ】f:id:Halumaru:20190409232616j:image

サンマルコ広場は、船でやってきた国外の人を迎える玄関口となっていて、教会・宮殿(行政の中心地)がここに集まっていました。

◎サンマルコ寺院

f:id:Halumaru:20190405085309j:image

f:id:Halumaru:20190409010406j:image

ベネチア守護聖人・聖マルコが眠るサンマルコ寺院。アレキサンドリアから聖マルコの遺骸を持ち帰る際、ムスリムが嫌いな豚肉の中に忍ばせて運び出したというエピソードがモザイク画として描かれていました。

ドゥカーレ宮殿

f:id:Halumaru:20190409083654j:image

ドゥカーレ宮殿は、元首の居住・政庁・裁判所・さらに牢獄の役割を果たした、まさに行政の中心地でした。

f:id:Halumaru:20190409010049j:imagef:id:Halumaru:20190409010115j:image

大評議会の間はドゥカーレ宮殿の中でも最も広い部屋です。歴代の元首達の肖像画が描かれています。元首は終身制でしたが、不正を働いた元首は失脚させられ、肖像画も黒く塗りつぶされていました。

f:id:Halumaru:20190409010602j:image

宮殿と牢獄を繋ぐのは小さな橋です。この橋を渡ると二度と外の世界には戻れない。橋の小窓から最後のベネチアの景色を見てため息をついたことから、「ため息の橋」と言われています。

見どころがたくさんあり、あっという間に時間が過ぎます。ティラミスで小休憩して、午後もベネチアの街散策は続きます。

f:id:Halumaru:20190410001935j:image

イタリア旅行5日目②へ続く